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また、X(Twitter)で話題沸騰していますね。界隈で、幾度となく語られてきた、邦楽史上トップレベルの議論。それが、
“ はっぴいえんど中心史観”です。
今回の発端はおそらく、みのミュージックの邦楽アルバムランキング2026年版ですかね。前回の記事で、その批評と感想について書かせていただきました。そちらもぜひ合わせてどうぞ。

その邦楽アルバムランキングにて、 はっぴいえんどの『風街ろまん』が1位を獲得したんです。それも、連覇の快挙なんです。以前よりはっぴいえんど中心史観に懐疑的な層は、やはりこの結果に異議があるようで、さまざまな持論が飛び交い続けています。

ということで今回は、はっぴいえんど中心史観とは何なのか?そして、それは理にかなっているのか?など、客観的に、かつ主観的に述べていきたいと思います。
【”はっぴいえんど中心史観”とは?】

まずは、いわゆる”はっぴいえんど中心史観”とは何なのか?ということについてです。
AIによる概要はこちら
「はっぴいえんど中心史観」とは、1970年代の「はっぴいえんど」を日本語ロックの祖と位置づけ、その後のJ-POPや邦楽の潮流を同バンドから派生・発展したものとして捉える考え方です。
そして個人的に加えておきたいのは、
はっぴいえんどおよび彼らの人脈により、同時代およびその後の邦楽全体を説明できるというもの。
です。要は、その名の通り、はっぴいえんどを邦楽史の中心に置くことが理にかなっているか、ということですね。

ちなみに、説明は不要だと思いますが……
はっぴいえんどとは、1970年代に存在した邦楽ロックバンド。ロックは日本語では成立しないという神話を、”日本語ロック”により打開した立役者。代表作は2作目の『風街ろまん』。メンバーは、大滝詠一、細野晴臣、鈴木茂、松本隆で、後の邦楽ポップスを担っていく重要人物により構成されたスーパーグループです。
【はっぴいえんど中心史観を証明するための項目】
私は、はっぴいえんど中心史観を証明するための項目を以下の3つに定めました。
① 邦楽ロックの原点と言えるか
② その後の邦楽の重要アーティストに直接的に繋がる潮流を生み出しているか
③ はっぴいえんどというバンドおよび、各メンバーの存在兼活躍で、その後の邦楽のほとんどを説明できるのか
ちなみに私は、はっぴいえんど中心史観に、おおむね賛同という立場を取っています。しかし、部分的には賛同が難しいことも説明したいです。
【前提 : グループ・サウンズ(GS)により示された、歌謡とロックの境界】

まずは、①を証明するにあたり、邦楽ロック=日本語ロックとしたいと思います。つまりは、日本語ロックの原点だという証明ができれば、邦楽ロックの原点だと位置付けられるということです。その後の潮流を辿るに、邦楽ロックはそのほとんどが日本語ロックであるからです。
それに際して、まずはその前提を説明する必要があります。
グループ・サウンズ(GS)とは、60年代後期、ビートルズらに影響を受け熱狂的に支持された、エレキギター中心のポップスバンドです。
イギリスやアメリカで全盛期を迎え(かけ)ていたロックバンドブームにあやかり、日本でもバンド形態のグループアーティストが急増しました。とはいえ、70年代前後の邦楽バンドと異なるのは、自分たちで曲を作って演奏する自作自演のスタイルではなく、作曲を外部のプロ作曲家に委託し、自らは演奏に徹するという点でした。
しかし、当時のGSバンドのほとんどのヒット曲は、「歌謡曲」に過ぎませんでした。ロックは歌謡を超えられず、バンドスタイルで演奏をしても、日本語で演る限りは歌謡秩序に取り込まれるばかりでした。そういったジレンマを、皆どこかで感じていたのではないかと思います。
【はっぴいえんどは邦楽ロックの原点か?】

はっぴいえんどは、1970年にファーストアルバム『はっぴいえんど』(通称ゆでめん)をリリースしました。そして、1971年にセカンドアルバム『風街ろまん』を、さらに2年後の1973年にはラストアルバム『HAPPY END』をリリースします。そして解散。
はっぴいえんどは、松本隆による作詞が非常に重要視されています。日本語での作詞をこだわった彼は、逆にロックの音に乗せようとしすぎずに、難解な単語を用いた作詞に挑戦します。
大滝詠一、細野晴臣、鈴木茂の3人の天才ソングライティングは、あまりにも洗練された音で、世界水準のロックサウンドを構築しました。当時、日本には他にもたくさん世界水準のロックバンドがいたことは間違いないです。しかし、松本隆が英語とはまるで真逆のアプローチをした結果、世界水準のロックサウンドに日本語を乗せることに大成功したという例は、1971年時点では未到達のところだったのではないかと思います。
もちろん、いるっちゃいますよ。でも、その中でも頭ひとつ抜けた圧倒的な完成度、さらにはそれが(非プログレの)コンセプトアルバムであるという点は、重要視すべきところではないでしょうか。
完全に原点とは言い切れませんが、概ね賛同すべきだとは思います。
【『風街ろまん』の持つ都会性 ⇨ シティポップに直結】
『風街ろまん』について、さまざま功績が神話的に讃えられていますが、個人的には、「日本初の”都会”をテーマにしたコンセプトアルバム」だということを推していきたいです。
『風街ろまん』は、古き良き東京の風景を、「風街」と称してコンセプチュアルに構成したアルバムです。この「都会をテーマにしたコンセプト」というのは、後のシティポップの成立に直結する概念ではないでしょうか。

また、大滝詠一『A LONG VACATION』(1981)、鈴木茂『BAND WAGON』(1975)、細野晴臣”トロピカル3部作”、そしてそれらの作詞の多くを手掛けた松本隆など、彼らのその後の活躍はシティポップの名タイトルの制作に始まっています。
他にも、シティポップの元祖であるシュガー・ベイブ『SONGS』(1975)を大滝詠一のレーベルによりリリースしていたり、細野晴臣と鈴木茂はティン・パン・アレー(キャラメル・ママ)のメンバーとして荒井由実や吉田美奈子などたくさんのシティポップアーティストを支えたりしています。彼らは、シティポップおよびニューミュージックの功労者なのです。

【フォークやテクノなどその他70年代のニューミュージックに貢献】
はっぴいえんどで最も評価すべきなのは、彼らメンバーのその後の活躍です。むしろ、はっぴいえんど中心史観は、後に彼らの凄まじい活躍を目にして神話として謳われたものだと考えるべきであり、当時のリアルに沿って語るのはナンセンスだと言っても過言ではないのです。
では、その他のニューミュージックへの貢献を記述し、②および③に説得力を持たせたいと思います。ニューミュージックは、彼らの活躍したシティポップのみならず、フォーク~テクノのさまざまな邦楽ポップスを全般的に呼ぶ場合が多いです。
細野晴臣や鈴木茂らは、当時のさまざまなフォークアーティストのレコーディングやライブ演奏を支えています。岡林信康『見るまえに跳べ』(1970)や高田渡『ごあいさつ』(1971)、遠藤賢司『満足できるかな』(1971)、小坂忠『ありがとう』(1971)などフォークの重要作にははっぴいえんどのメンバーがほとんど参加していたし、井上陽水『氷の世界』(1973)などのフォークロックの歴史的な名盤にも、クレジットに細野晴臣の名前が記載されています。

そして、細野晴臣の最大の貢献、テクノポップスの市場進出は邦楽史に残る出来事です。トロピカル3部作を経て、YELLOW MAGIC ORCHESTRA (YMO)がそのコンセプトを電子サウンドにより可聴化しました。坂本龍一や高橋幸宏、渡辺香津美など、当時の最重要スタジオミュージシャンを従え、ニューミュージックを歌謡と接続、そしてJ-POPの成立に寄与しました。
【80年代以降完成する歌謡ポップスへの貢献】

80年代以降も、彼らの活躍は止まりません。ニューミュージックは、歌謡秩序の中に入り込みJ-POPの成立へと向かうのです。その象徴が、松田聖子でした。
松田聖子のヒット曲は、松任谷由実や財津和夫など、その多くを超名作曲家が務めました。その中には、大滝詠一(「風立ちぬ」など)や細野晴臣(「天国のキッス」など)、鈴木茂など、はっぴいえんどメンバーも勢揃いしていました。もちろん、そのほとんどの歌詞を松本隆が務めました。
松田聖子の『風立ちぬ』(1981)は、大滝詠一がプロデュースした名盤です。彼がアルバムのうちの半分を作曲し、残りは鈴木茂や財津和夫、杉真理らが書き下ろしました。豪華すぎる。
【演歌の世界にも貢献】

歌謡にポップスを接続した例として象徴的なのは、大滝詠一による演歌への楽曲提供です。
森進一「冬のリヴィエラ」(1982)や、小林旭「熱き心に」(1985)など、当時の重要なヒット曲になりました。
ここまで見て、フォーク、シティポップ、歌謡、テクノ、演歌、J-POPとあまりに広く邦楽ジャンルに貢献しているのがわかりますよね。ハードロックやプログレなどは、正直そこまで関与はしていません。しかし、それらのジャンルはあくまで洋楽的なものであり、現代に繋がる源流は、日本にはほとんどないと思っています。むしろ、現代のそれらのフォロワーは英米のロックに影響を受けているのではないでしょうか。
”邦楽”の世界においては、彼らの存在によりその多くを語ることができそうです。ということで②③も証明できたかな。
【賛同できない部分 : バンドとしての評価】
とはいえ、先述したように、完全には賛同することはできません。
その理由が、「はっぴいえんど」のバンドとしての評価が、過大評価であるとの指摘が見過ごせないからです。確かに、今まで語ってきた功績の多くがその後の各メンバーの活躍の話でした。
日本におけるロックの始祖というと、ジャックスやザ・モップス、そしてフラワー・トラベリン・バンド、村八分、裸のラリーズ、頭脳警察など、これらを主張する人が多くいます。そして、彼らと比較するとはっぴいえんどは軟派で、むしろ歌謡曲にすぎないであろうとの主張も、わかるのです。
しかし、”日本語ロック”を最前線で、最高の音質と完成度で切り拓いたという点は、むしろそういった当時の競合バンドたちの間をスルッと抜けて、現代にまで及ぶ邦楽ロック史における最重要の原点になってしまったことは、否定できない事実だと思います。
でも、「当時のバンドとしての評価」や「商業的な実績」など、わかりやすい功績に関して述べるとなると、手放しで褒めるのは少し難しいですね。
実際私自身も、「市場に邦楽ロックを進出させた邦楽バンド」はキャロルであり、ジョニー大倉がロックを大衆に届けた最重要の作詞家であると考えています。そして、ロック御三家、さらにはサザンオールスターズへと系譜が続いていきますもんね。なので、捉える視点や角度によっては、はっぴいえんどのバンドとしての評価を一番とは考えにくいですね。
ちなみに、はっぴいえんどはロックじゃないという主張に関しては間違っていると思います。そんなことを言い出すと、はっぴいえんどがそのサウンドに影響を受けた、バッファロー・スプリングフィールドやモビー・グレープなどはロックじゃないのかということになります。前述したバンドたちのように硬派なロックをやってはおらず、日本語の歌詞にもあまりにも凝りすぎており、メロディーセンスも抜群、確かに歌謡やフォーク的な部分は充分にありますが、しっかりとロックです(特に1stとか聴けば明白ですよね)。
【オマケ : 日本におけるロック草創期の好きなアルバム】
最後に、関係ないですが、はっぴいえんど前後のロック草創期における名盤を1枚紹介したいと思います。完全にエゴですが!
◎ ストロベリー・パス『大烏が地球にやってきた日』 (1971)

ストロベリー・パスは、成毛滋(Gt,Ba,Key)とつのだ☆ひろ(Vo,Dr)により結成されたプログレバンドです。ありえない完成度に驚かされました。つのだ☆ひろの名曲「メリー・ジェーン」の初収録です。後に、このバンドに高中正義がベーシストとして加入し、フライド・エッグを結成します。当時の界隈では彼らがロックスターとして人気者だったとの証言も僅かですが耳にしました。唯一作ですが、海外にも一切引けを取らない圧倒的なクオリティです。サブスクにあると割と最近知ったので聴きまくってますけど、これヤバいですね笑
以上、はっぴいえんど中心史観に関する私の見解でした。
本日もご愛読ありがとうございました!それではまた(╹◡╹)


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