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さて、今回は荒井由実の入門編です。松任谷由実以降の話については割愛、また今度詳しく話せたらいいですね。加えて、荒井由実期の活動を支えたさまざまな音楽グループについても触れられたらいいなと思います。
【荒井由実のプロフィール】

荒井由実は、1954年東京生まれのシンガーソングライターです。かなり早熟で、当時18歳のデビュー時からその才能が発揮されます。
1973年、ファーストアルバム『ひこうき雲』をリリース。以後1年ごとにアルバムをリリースし続け、1976年の4枚目をリリース後、荒井由実としての活動は幕を閉じます(結婚し、松任谷由実に改名)。
音楽性としては、非常にJ-POP的な歌謡が特徴です。同時間的に、海外でも勃発したシンガーソングライター(SSW)ブームの流れを汲むように、フォークやロック、ポップスに影響を受けたサウンドがあります。有名な話では、60年代のプログレ(サイケ)バンド、プロコル・ハルムに強い影響を受けたと言います。確かに、大名曲「青い影」からの影響は、初期ユーミン楽曲の節々に感じますよね。
また、音楽性として欠かせないのが「シティ・ポップ」です。後述する、主に二つの音楽グループの影響により、シティポップ的な音楽要素を多分に含んでいます。彼らの活動が、後の歌謡界やJ-POP界にかなり大きな影響を与えることは、この頃から決まっていたみたいです。
そして、なんと言ってもその才能がわかるのは、作詞力だと思います。美大(多摩美術大学)を卒業したこともあり、非常に目に浮かぶ絵のような鮮明な歌詞が特徴。このあたりは、松本隆的な歌詞タイプだと思います。私個人的には、松本隆、荒井由実、藤原基央は日本の三大作詞家だと思います(異論ありだとは思いますがあくまで主観的に)。
例えば、
“ 話しかけるようにゆれる柳の下を 通った道さえ今はもう電車から見るだけ “ (卒業写真)
“ 中央フリーウェイ 片手で持つハンドル 片手で肩を抱いて 愛してるって言ってもきこえない 風が強くて “ (中央フリーウェイ)
など。非常に情景が目に浮かびますよね。
【「呉田軽穂」としての活動】
彼女が凄いのは、自身のシンガーソングライターとしての活動のみにとどまりません。と言うのも、ソングライターとしての活動が同じくらいに凄まじいのです。松田聖子の「赤いスイートピー」や原田知世の「時をかける少女」、石川ひとみの「まちぶせ」や薬師丸ひろ子の「Woman」など。当時の大ヒット曲を多く手がけ、7、80年代の歌謡シーンに大きく貢献しています。その際、彼女は「呉田軽穂」という名義を用いることが多くあります。「赤いスイートピー」については、作詞松本隆、作曲呉田軽穂、編曲松任谷正隆という最強編成で作られています。ヤバいですよね(語彙)
詳しくは、以前投稿したこちらの記事をご覧ください。
【荒井由実の必聴アルバム】
次に、荒井由実の必聴盤ですが、残念ながら全て聴いてください(義務)。4枚しかない上に、非常に聴きやすいものばかりですので、スルスルっと聴けてしまえると思います。
ということで、今回は一言ずつ各アルバムを形容し、好みに合わせて聴いてもらえるように書き表そうと思います。

まずは、『ひこうき雲』。一言で表すと、「歴史的意義」を持つアルバムです。音楽評論的な文脈でも最も語られることのある、間違いなく名実ともに日本最高峰の大名盤です。

次に、『MISSLIM』。こちらは、非常に「シンガーソングライター」的なアルバムです。以後現在にまで繋がる日本のシンガーソングライターの系譜において、原点にして頂点とも言える大傑作です。音楽性の多様さが『ひこうき雲』に比べ増し、SSWの持つ「自由さ」を象徴するアルバムとなっています。

3枚目は、『COBALT HOUR』。こちらは一言で表すと、「都会」的。初めてポップスとしての性格を持ち、アメリカンポップスを通過したシティポップ的なサウンドが特徴です。「ルージュの伝言」や「卒業写真」など、楽曲が洗練された都会感を持ちます。

最後は、『14番目の月』。こちらを一言で表すと、「さみしさ」のアルバムだと思います。欠けた月や雨、晩夏など、さみしさがテーマとなっている楽曲を非常に多く持つ作品です。荒井由実期のラストを飾る有終の美のアルバムですね。
【荒井由実を支えた音楽グループ】
① ティン・パン・アレー (キャラメル・ママ)

まずは、ティン・パン・アレーです。1枚目の『ひこうき雲』からユーミンのレコーディングを支え続けてきました。例えば、「ひこうき雲」のレコーディングメンバーは、ボーカル荒井由実、ギター鈴木茂、ベース細野晴臣、ドラム林立夫です。ちなみに、『ひこうき雲』当時の名義はキャラメル・ママでした。キーボードは夫の松任谷正隆です。
ご存知の通り、細野晴臣と鈴木茂は元々ロックグループ「はっぴいえんど」のメンバーでした。解散後、『ひこうき雲』がリリースされる少し前に、細野晴臣のソロ1stアルバムの『HOSONO HOUSE』のレコーディングがあり、そこでセッショングループとしての性格を再認識したんですね。その後、荒井由実期のほぼ全てのカタログに、レコーディンググループとして参加することになります。
② シュガー・ベイブ

次は、シュガー・ベイブです。言わずと知れた元祖シティポップグループ。山下達郎や大貫妙子など、後のポップシーンを支えていくことになるメンバーが多数在籍していました。セカンドアルバムの『MISSLIM』から参加するようになり、3枚目と4枚目では本格的にレコーディングメンバーとして加わっています。
例えば、ご存知の大名曲「ルージュの伝言」では、ボーカル荒井由実、ギター鈴木茂、ベース細野晴臣、キーボード松任谷正隆、ドラム林立夫のティン・パン・アレーメンバーに加えて、ドラム(パーカッション)やバックボーカルに山下達郎が参加しています。他にもバックボーカルには、大貫妙子や吉田美奈子、ハイ・ファイ・セットの山本潤子と山本俊彦、大川茂が参加しています。改めて凄いメンバー。時代が時代なのに非常に洗練されたサウンドが光るのは、日本一のセッションミュージシャンが集結したからなんですね(ユーミンの作詞作曲が凄いのはもちろんのこと!)
ちなみに私が一番好きなのは「卒業写真」。鈴木茂の甘いギターソロがマジでたまりませんヨ

以上、荒井由実の入門と関連グループについてでした!歌謡を知るには避けて通れない早熟の天才でしたね。興味を持った方は当時のシンガーソングライターについても掘ってみるといいかもしれません。
本日もご愛読ありがとうございました!それではまた(╹◡╹)
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