HIROSEのミュージックバーへようこそ。こちらのブログでは、音楽を中心としたさまざまな情報を気まぐれに発信しています。
先日、友人とこんな話をしていました。
日本には推し文化が強く浸透していて、今や巨大なカルチャーの一つとして市民権を獲得しているけど、それには日本人に無宗教が多いからなのではないか、と。
実際には紆余曲折してこのような結論に至ったわけですが、まとめるとこんな感じでした。非常に面白い話だと思ったし、調べてみると似たような議論は既に存在していたようですので、改めて私HIROSEの見解を示してみようかなという次第です。
【世界人口に対する無宗教の割合は?】
まずは、世界人口に対する宗教の割合を調べてみました(2020年)。

上記の結果によると、無宗教の割合は世界の約1/4であると読み取れますね。
逆に言えば、何らかの宗教に属している人の割合は、世界の約3/4いるわけです。無宗教はそもそも少数派なんですよね。
1番はやはりキリスト教。ビートルズのジョン・レノンによる、「僕たちはイエスよりも人気がある」という通称「キリスト発言」が、どれほど激ヤバコメントだったかよくわかりますね。
【日本の無宗教者率】
調べてみたところ、「宗教的信仰は持っていない」「宗教に所属していない」と答えた日本人の割合は、約7割でした。世界の割合とは相反して、日本では無宗教が多数派ですね(当然暗数も多く存在していそうですが)。
【宗教は「合理的」である?】
宗教は、ある種の合理性を持っていると思います。宗教を信仰する者は、何か困難な事や悩み事、助けてほしい状況が自身にあった時、「神」にすがれるのです。そのため、人間は生まれながら、何かすがるものを必要としていることが前提としてあるわけなんですね。こういった前提に際して、宗教の存在はとても理にかなっていると言えます。
対して、多くの日本人を含む、無宗教の人々は、同様の状況に陥った際、頼るもの、すがれるものが何もありません。たまに「神にもすがる思い」だとか、「神頼み」だとか日本でも耳にしますが、それは心からの信仰心に由来するものではなく、ただの都合の良いおねがいにすぎません。
この、「人は誰しも心の拠り所を求める」という前提において、宗教を持たない人間はとても不都合なのです。
【神の存在 = 心の拠り所 = 推し?】
先述した理論によると、宗教を信仰する人間にとって、神の存在は「心の拠り所」の一つであるわけです。
しかし、「心の拠り所」は、無宗教の人間にとっては共通した概念が存在しません。それぞれがそれぞれの信仰対象を持ち得るのです。
人にとっては、それが「推し」になることも。
「推し」への信仰は、それが好きで好きでたまらない人間にとっては当然のことです。手に触れられない、「概念」的な存在である点で、ここでは恋愛の沼的なソレとは区別できます。この人のために頑張ろう、この人のために生きよう(金を稼いで金を貢いで喜んでもらおう)とするのは、「人は誰しも心の拠り所を求める」という前提に照らせば非常に道理に合う過程であると言えると思います。
したがって、無宗教の人間は、宗教を信仰する人間ならば満たすことのできる「人は誰しも心の拠り所を求める」という生まれもった前提から導いて、「推し」を求めてしまう傾向が高い、という結論になりました。
日本には無宗教が多いため、推し文化が発達しやすく、受け入れられやすいというのは、自然な道理だと言えますね。
…知らんけど。
以上、最近気になった問題提起と私の見解でした。あくまでもエンタメブログですので、一つの説として捉えてもらえると嬉しいです(^^;
本日もご愛読ありがとうございました!それではまた(╹◡╹)
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