大滝詠一と山下達郎の違いとは???【2大”キング・オブ・シティポップ”を比較してみる】

J-POP/歌謡

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先日、山下達郎のライブに行ってきました。それも2列目で鑑賞でき、その圧倒的な声と音楽に魅せられ、それからひと月経ちますがいまだにヤマタツ熱が止まない毎日です。
詳細にはコチラをm(__)m

そんな、シティポップが大好きなワタクシですが、シティポップの大御所といえば、彼と大滝詠一の2人が想起されます。どちらも夏を象徴するシンガーソングライターであり、海の見えるサウンドや、ミックスにこだわった邦楽界の重鎮ですよね。
ということで今回は、タイプの違うシティポップの神様お二人を、どう異なるのか、ロジカルに説明してみようと思います

ちなみに、大滝詠一についても過去に一本にしました。ぜひコチラも合わせてどうぞm(__)m

【導入 —— シティポップの誕生と種類について】

当ブログでは、シティポップの起源を”1975年”と位置づけています。というのも、
シュガー・ベイブが『SONGS』を発表した年”だからです。シュガーベイブのメンバーには、山下達郎大貫妙子などがおり、『SONGS』の総合プロデューサーは大滝詠一が務めています。

また当ブログでは、シティポップの定義

「①はっぴいえんどorシュガー・ベイブorティン・パン・アレーのメンバー、もしくはそれらに関わる方々が関与した、②1975~80年代後半の楽曲で、③夏(海)もしくは夜(都会)がテーマになっているもの」

と定義づけています。大滝詠一ははっぴいえんど山下達郎はシュガーベイブに所属していましたね。

詳細にはコチラをご覧くださいm(__)m

そして、シティポップは前期と後期に大きく分けられると思います

◎ 前期 (~80年) : “歌謡”型

歌謡とは、私の定義だと89年までのすべての邦楽に対する包括的な呼称です。そのため、80年代はJ-POPが確立するまでの、歌謡とJ-POPの間の時期だと言えます。そのため、あえて1980年まで(70年代)のシティポップを、歌謡型と呼びました。

具体的には、シンセの音色や打ち込み的なドラム、ベースサウンドよりも、生の楽器演奏を中心としたものを指しています。ポップスとはいえ、まだニューミュージック的な扱いをすべき時期であると思うからです。ユーミンで言うと荒井由実の時代ですね。

◎ 後期 (80年~) : “J-POP”型

対して、J-POPとは90年代以降の邦楽を包括的に呼んだ名称です(個人の定義)。そのため、80年代はJ-POPに向かう過渡期であると言えるため、80年以降(主に80年代)の、シンセや打ち込みサウンドを中心としたシティポップを、J-POPと呼びました。ユーミンで言うと松任谷由実の時代ですね。

【大滝詠一: “歌謡”型シティポップ】

大滝詠一は、歌謡型であると言えます
大滝詠一は、70年代の初頭から活躍し続け、邦楽ポップスやロックの草創期から90年代のトレンディドラマ主題歌に至るまで非常に長く邦楽の世界に貢献してきました。その多くが、歌謡秩序への影響であったと思います。

楽器奏者が一斉に演奏し音を録るという、和製ウォール・オブ・サウンドのサウンドプロダクションを確立し、その音は邦楽ポップスの基礎となりました。シンセはほとんど使用されず、各々の楽器の持つ力に委ねられた構成が特徴でした。
しかし、自作曲のメロディーやコード、さらに松本隆の書く歌詞までもが非常に歌謡的でした。サウンドやスタンスは洋楽的なアプローチを積極的に行っていましたが、楽曲自体はまさしく歌謡そのものに聴こえます

さらには、彼の楽曲提供がわかりやすく歌謡型のシティポップであることを伝えます。松田聖子や小泉今日子、太田祐美などの昭和アイドルや昭和歌手への提供と同時に、森進一や小林旭などといった演歌歌手への楽曲提供も、同時に広く知られるものとなりました。この、演歌とシティポップとの接続は、まさに歌謡秩序の枠組みにおける最大級の功績であったと振り返ることができるでしょう。

【山下達郎: “歌謡”&”J-POP”型シティポップ】

対して、山下達郎はと言いますと、歌謡型でもありJ-POP型でもあるんですよね。
プロデューサーとしての性格が強く、大滝詠一と同様にサウンドプロダクションに非常に強くこだわりました。セッションメンバーへの大きな信頼があるため、各楽器隊の即興的な演奏を活かした楽曲構成が多いです。これらを見ると、大滝詠一と似ており、同様に歌謡型シティポップであると思ってしまいますが、これからが大きな違いです。

山下達郎は、シンセを多用します。楽曲によっては、ドラムやベースの音色もエレクトリックなものがあり、それは大滝詠一には最後まで見られなかった部分です。
また、歌謡秩序の枠組みに属したことが、キャリアを通してほとんどなかったと思います。サウンドやスタンスのみならず、楽曲自体が基本的に洋楽的である気がします。大滝詠一などの楽曲とは異なり、AORとしても聴くことができるというのが、シティポップにおける歌謡型とJ-POP型の大きな違いでしょうね

また、楽曲提供についても明白です。山下達郎の著名な楽曲提供と言えば、KinKi Kidsへの「硝子の少年」や「Kissからはじまるミステリー」ですよね。まさしくJ-POP黎明期を象徴するアイドルソングでした。大滝詠一による演歌歌手や昭和アイドルへの提供とは相対し、山下達郎はJ-POPアイドルへの提供が広く知られましたここの違いは、彼らのシティポップタイプの境界をわかりやすく示しています

【まとめ: 大滝詠一と山下達郎の違いとは?】

① 大滝詠一は歌謡型、山下達郎は歌謡&J-POP型のシティポップ

② 編曲やミックス、スタンスなどは近しいものがあるが、大滝詠一は歌謡的な作曲、山下達郎は洋楽的な作曲を感じる

③ 楽曲提供についても、大滝詠一は演歌歌手や昭和アイドルなど歌謡秩序に属したものであるが、山下達郎は平成アイドルなど非常にJ-POPな貢献が多い

以上、大滝詠一と山下達郎の違いについての記事でした。どちらも甲乙つけがたい良さを有しており、どっちのほうが好きかという質問ほど答えられないものは個人的にないです。

このように、シティポップに関する記事を中心に、広く多様に音楽についての記事を書いているため、ぜひ今回の記事で関心をいだかれた方は他の記事もご覧くださると嬉しいですm(__)m

本日もご愛読ありがとうございました!それではまた(╹◡╹)

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