70年代邦楽史における”ニュー・ミュージック”の誕生とは??

J-POP/歌謡

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あけましておめでとうございます!そして、本年も宜しくお願い申し上げます。今年も良い年になればイイですね。私もブログも、2年目に突入いたしますので、しっかりと目標持って誠実に取り組めたらいいなと思います。

本日は、”ニュー・ミュージック”の誕生について説明していきたいと思います。ニューミュージックとは、海外の音楽シーンに影響を受けた、当時にしては先進的で洗練されたポップスの総称を指します。シティポップと近しいですが、より広く、フォークやロックの界隈も含めて言うことが多い印象があります。いわゆる、J-POPの基盤となる音楽ですね。

日本独自の音楽だけでは、歌謡や演歌の枠組みから抜け出せず、リズムやノリに進化が見られないまま続いていくはずでした。そこへ、大滝詠一や細野晴臣、山下達郎などのニューミュージックの志士たちが新しい音楽性を持ち込み、邦楽の進化に貢献することとなるのです。さて、大枠はつかめたと思いますので、そろそろ本編へ入っていきましょうか!

① フォークの市民権獲得と日本語ロックの確立

現代に繋がる邦楽史は、フォークから始まったものでした。1970年前後、アンダーグラウンドにおいて、岡林信康高田渡遠藤賢司加川良など、多くのフォークアーティストが活躍を続けるなか、フォーク界のプリンスがオーバーグラウンドに躍り出ました。吉田拓郎でした。吉田拓郎をはじめとした多くのフォークシンガーが次々と市民権を獲得していく中で、同時にシンガーソングライターという概念が日本に登場しました。彼らはすでに、ボブ・ディランやサイモン&ガーファンクルといった海外の音楽シーンに強い影響を受けており、当時の日本の演歌や歌謡といったシーンと比較すると、音楽そのものに対する意識がかなり強い人たちでした。いわゆる”自作自演”へのこだわりや、アルバム全体での音楽表現という、ビートルズを中心としたイギリス・アメリカのアーティストたちが打ち出した”常識”を当然のように持っており、その意識は次第にフォークロックの誕生へと繋がっていきました

そんな志士たちが集結したスーパーグループが、当時フォーク黎明の最中に登場しました
はっぴいえんどは、大滝詠一細野晴臣鈴木茂松本隆という、ありえないメンバーで構成されたフォークロックバンドでした。彼らは、コンセプトアルバムの概念や自作自演の意識をオーバーグラウンドで初めて達成し、当時英語でしか成立しないという神話のあったロックというジャンルを、日本語で表現することに成功しました。今では当たり前である”日本語ロック”の確立は、非常にエポックメイキングな事だったんですよね。

今回、ロックについての深い説明は割愛させていただきます。しかし、60年代におけるジャックス『ジャックスの世界』やザ・フォーク・クルセダーズ『紀元弍阡年』の登場から、70年代以降のはっぴいえんど、頭脳警察、はちみつぱい(ムーンライダース)やファニーカンパニーの活躍、そして72年にキャロルがデビューするまでの流れは、邦楽ロック史において最重要のものです。今回説明したいポップスとは逸れますが、邦楽を包括的に理解するには欠かせないものなので、一応ざっくりと説明させていただきました。

② はっぴいえんどの分離

そして、はっぴいえんどは3枚目のアルバム発表後、72年に解散します。その時、
1 . 細野晴臣・鈴木茂
2 . 大滝詠一
の二つの派閥に分裂します。松本隆は双方の作詞家として活躍しますが、80年代に入るまで、両者はほぼ交わることなくそれぞれ大きな貢献を果たしていくことになります。今回は、前者を③後者を④にて説明していきたいと思います。

③ 細野晴臣と荒井由実

細野晴臣は、はっぴいえんどの解散後まず自身のソロ活動を開始することになります。その際、宅録的な性格を持つアルバムを作ろうと努め、レコーディングメンバーの確定を目指しました。そこで結成されたのが、細野晴臣鈴木茂松任谷正隆林立夫 (後には佐藤博も)によって構成されるセッショングループ、ティン・パン・アレー(キャラメル・ママ)でした。ちなみに細野晴臣は、当時の音楽性を、ジェイムス・テイラーの『One Man Dog』 (1972)に影響を受けたものだとしています。

そこで確定したレコーディングメンバー、すなわちティン・パン・アレー(当時はキャラメル・ママ)が、最初に活躍した最大の仕事が、荒井由実のレコーディングでした。荒井由実期のユーミンの活動は、そのほとんどを彼らが支えていくことになります1973年の『ひこうき雲』は、細野晴臣の『HOSONO HOUSE』の約半年後にリリースされたもので、この年がニューミュージックの成立にとってどれほど大事な年であるかわかりますよね。ちなみに著名なものではありませんが、彼らの最初の仕事は、実質的には吉田美奈子のファーストアルバム『扉の冬』です(同じく1973年)。

その後、ユーミンは1975年の『COBALT HOUR』において完全体となった気がします。「卒業写真」や「ルージュの伝言」など、アメリカンポップスに影響を受けたその洗練されたサウンドは、いわゆるシティポップの誕生ともカブるものでした。この”1975年”という年は、後ほどまた出てくるので覚えておいてくださいな。ニューミュージックが漠然としたもののみならず、ポップスとしてその自覚を持ち始める年です

④ 大滝詠一と山下達郎

次に、大滝詠一のほうはどうでしょうか。はっぴいえんど在籍中の72年にファーストアルバム『大瀧詠一』を発表し、解散後もソロキャリアを着々と進めていました。その中で、「ナイアガラ・レーベル」を設立し、ニューミュージックの台頭に貢献するよう努めました

そこで、ナイアガラレーベル出身の、大滝詠一が全編プロデュースを務めたバンドが、シュガー・ベイブでした。シュガーベイブは、山下達郎大貫妙子村松邦夫伊藤銀次らが在籍したポップスバンドで、いわゆるニューミュージックの始まりを象徴するバンドでもありました。さて、ここで先述した1975年という革命的な数字が出てきます。それが、シュガーベイブがファーストアルバム『SONGS』をリリースした年になります。これを起点に、シティポップが開始されることになりました(1975年 = シュガーベイブ『SONGS』 = シティポップの起源)。いわゆるニューミュージックの成立は、この時期の前後をしばしば指しているようなイメージがあります。

⑤ 井上陽水

井上陽水は、長期にわたり活躍する天才シンガーソングライターです。荒井由実や中島みゆきなどと同じく、70年代前半のシンガーソングライター勃興期に現れたフォークシンガーでした。井上陽水は、ポップスやロックなど、さまざまな領域に自らの音楽性を変化させながら、時代に適応し続けてきました。それゆえ、ニューミュージックの成立に大きく寄与した一員でもあります。

先ほど、1973年も大事な年であると話しました。井上陽水の歴史的な名盤、『氷の世界』は1973年にリリースされ、日本初のミリオンセールスを記録しました。これは、歌謡や演歌とは異なる、ポップスが市場を制した歴史的な瞬間でもあります

⑥ シティ・ポップの誕生

こうして、シティポップは1975年の誕生以降、はっぴいえんどやシュガーベイブの出身者および関連メンバーにより、邦楽ポップスの基盤として進化を続けました。大滝詠一や細野晴臣、山下達郎を中心とし、吉田美奈子や大貫妙子、ユーミンや南佳孝など多くのアーティストがシティポップに傾倒し、邦楽ポップス全体の飛躍を促進しました。70~80年代のシティポップの名盤をランキング化した記事を以前書かせていただいたので、ぜひそちらも一緒にご覧いただけると嬉しいですm(__)m

⑦ 歌謡との融合 ▶ J-POPの確立

こうして、シティポップおよびニューミュージックは、歌謡秩序に組み込まれていきます。大滝詠一が小林旭に提供した「熱き心に」や森進一に提供した「冬のリヴィエラ」、吉田拓郎が森進一に提供した「襟裳岬」など、フォークやシティポップをはじめとしたニューミュージックは、次第に歌謡や演歌の領域と接続されることになります。そして、ポップスが歌謡と一体化し、アイドルソングもシティポップ的になっていくのは、80年代に入ってからより顕著になるシーンですね。大滝詠一や細野晴臣、TULIPの財津和夫やユーミンなど、多くのニューミュージックの志士たちが松田聖子に楽曲提供をしています。

また、バンドにおいても、70~80年代はビートルズをはじめとしたさまざまなバンドに影響を受けた多くのニューミュージックバンドが出現し、オフコースTULIPかぐや姫アリスなど、フォークロックを中心としたロック&ポップスバンドが、歌謡秩序の枠組みにおいてニューミュージックの領域拡大に寄与しました
80年代に入り、歴史的セールスを記録した寺尾聰の「ルビーの指環は、シティポップでもありロックでもポップでもある名曲です。ニューミュージックが歌謡と一体化したことを表す、象徴的なナンバーだとわかりますよね。

【ニューミュージック年表】

最後に、これまで紹介したらニューミュージックの成立にとって重要ないくつかを、時系列順で並べ年表のようなものを作ってみます。ぜひ参考にしてみてくださいな。

1971年11月 : はっぴいえんど『風街ろまん』
1972年11月 : 大滝詠一『大瀧詠一』
1972年12月 : はっぴいえんど解散
1973年5月 : 細野晴臣『HOSONO HOUSE』
→ 後のティン・パン・アレー結成
1973年9月 : 吉田美奈子『扉の冬』
1973年11月 : 荒井由実『ひこうき雲』
1973年12月 : 井上陽水『氷の世界』
→ 日本初の100万セールス
1974年9月 : ナイアガラ・レーベル設立
1975年3月 : 鈴木茂『BAND WAGON』
1975年4月 : シュガー・ベイブ『SONGS』
→ シティ・ポップの誕生
1975年6月 : 荒井由実『COBALT HOUR』
1975年6月 : 細野晴臣『トロピカル・ダンディー』
→ “トロピカル3部作”およびYMOのコンセプトの構想開始

以上、70年代邦楽におけるニューミュージックの歴史についてでした。こうして、J-POPは現在の姿へと形成されていくわけです。我ながらとっつきやすく言語化できたのではないかと思います。
本日もご愛読ありがとうございました!改めて今年も宜しくお願いしますm(__)m それではまた~(╹◡╹)

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